いよいよ生産終了!! 歴代オデッセイを振り返る
皆さんこんにちは、↑の写真は、先週散髪する前の写真です( ・3・)
アルトラベラーです。
皆さん、いよいよ来てしまいました。
2021年12月
ついに、ホンダの狭山完成車工場が閉鎖されます。これにより生産終了するホンダ車もあります。
当ブログでは、そんな車種を振り返ります。
今回は
ミニバンの元祖・オデッセイ
それでは早速紹介しましょう。
初代・二代目
オデッセイは1994年10月に発売されました。
発売前の月販目標台数は4000台程度でしたが、当時のミニバンとしては低めの全高や、四輪ダブルウィッシュボーンによる走行性能、多人数乗り車(ワンボックスカー)という世間の常識を覆したことにより予想外の大ヒットとなりました。ホンダの同排気量クラスの中では珍しく、タコメーターが標準装備されなかったため、後に純正オプションで用意されました。
それまで排気量2L以上の3ナンバー普通車クラスの販売台数では、長年の首位を維持していたクラウンを抜き去り、1995年には125590台の販売台数を記録。1994年には日本カーオブザイヤーの特別賞、1995年にはRJCカーオブザイヤーを受賞しました。ヒットを後押ししたのは。アダムスファミリーの出演者を総動員した販売戦略としてのソフト面での成功もあります。
1997年12月にフルモデルチェンジ。初代の大ヒットを受け、デザインやコンセプトなどは共通化されましたが、先代よりスポーティ志向の走りとなった。エンジンの種類に関わらず、それぞれ6人乗りと7人乗りが用意されました。
三代目
2003年10月にフルモデルチェンジ。新開発の低床プラットフォームにより、ミニバンとして異例の機械式立体駐車場へ入庫可能の1550mmという低全高スタイルとしながら、3列シート7人乗り車のシールレイアウトを実現しました。上級グレードにはオプションで四代目アコードワゴンに採用されている電動式リアテールゲートが装備されました。乗員定数は7人乗りのみです。
ミニバンとは異なる運動性能やスポーティなデザインから、若年層やホンダが過去に生産していたスポーツモデルからの乗り換えユーザーに人気を博しました。一方で、全高の低さに起因する開放感のならを敬遠する向きもあり、三代目のキープコンセプトとして登場した四代目では、モデル末期における販売台数低下の原因ともなりました。
四代目
2008年10月にフルモデルチェンジ。FCXクラリティに似たフロントマスクとなり、テールランプは三角形から横長に変更され、車幅灯はLEDから電球に変更されました。また、新技術として車両の乱れを安定方向にアシストする「モーションアダプティブEPS」や急眼CCDカメラにより死角の低減や車庫入れなどの支援をする「マルチビューカメラシステム」を搭載。また、初めてECONボタンが搭載されました。
外観やコンセプトなどを中心に、三代目の特徴を濃く残している一方、足回りや車体回り性、ステアリング性能が磨かれており、特に走行性能は多くの評論家やユーザーから賞賛を受けました。三代目に引き続き車高を1550mmに抑え、大都市圏の消費者を主なターゲットとしました。しかし、モデル末期には大都市圏の消費者で車離れが進んだこと、オデッセイはユーザーからステーションワゴンのようなクルマだと認識されがちだったこと、また駐車場に制約の少ない地方都市ではその車高が敬遠され、全高が高いハイルーフタイプのミニバンに人気が集まる等、販売面では苦戦を強いられ、良い面があまり理解されないまま、次代モデルにバトンタッチしました。
五代目
2013年11月にフルモデルチェンジ。三代目以来となる「超低床プラットフォーム」が大幅に刷新されました。フロアの骨格構造だけではなく、フロア下の燃料タンクの薄型化や排気システムのレイアウトの工夫等により低床化を徹底。セカンドシートのステップ位置で、高さを先代モデルから60mm下げ、全高を140~150mm上げました。これは超低床プラットフォームの採用により、全高を高めてもオデッセイらしい走りを実現できると判断したためです。
販売面では、新たなユーザー層を取り入れるべく、先代モデルまで続いたダブルウィッシュボーンから高価格帯のクルマでありながら、コンパクトカーで一般的な足回り形式へと変更したことや、オデッセイのアイデンティティのひとつであった低い全高から、如何にもミニバンらしいスタイルへと大幅に舵を切ったため、それまで支持していたユーザーからは敬遠されてしまい、メーカーの期待通りに新規のユーザー獲得にはつながらなかった。
そして2021年6月、狭山工場の閉鎖に伴い、2021年12月末に日本仕様車の生産終了が決定しました。
いかがでしたか。
アルトラベラーの周りの人にオデッセイ生産終了を伝えたら、ほとんどの人が衝撃を受けていました。「過去に父親が乗っていた」などの人もいました。
つまり、このクルマはかなりの人の思い出に残るクルマだったようです。
それでは最後に
生産終了しても、我々はずっとオデッセイを忘れない
オシマイ(*^ー゚)
オマケ
オデッセイのカタログを複数所有していたので、初代のカタログを紹介します。
1994年11月のカタログなので、発売直後のカタログです。